第7講(モラル・セオリーその2)

「科学・技術と人間の倫理」の第7講。この授業は10月から毎週火曜日に開講されている。半期の授業なので折り返し点が近い。

モラル・セオリーは3コース合同の全体講義であり、各コースで議論した内容が倫理学の立場から見てどうなっているのかを復習する機会でもある(と私は認識している)。先週と今日の2回続きの講義である。

本日の講義では、倫理的な判断をする基本的な原理としてベンサムやミルの立場である「功利主義」と「カント倫理学(義務論)」の立場が紹介された。

功利主義とは、個人の幸福追求権を認めて、自由に幸福を追求することが社会にとっても善であるとする考え方である。当然他人に危害を加えない限りという他者危害原則がセットになる。ともかく社会の善は個人の幸福に還元される。

カント倫理学では、自分の行為を他人が行ったときにそれが認められるか、という観点から普遍性を要求し、さらに人は手段として扱ってはならないという立場をとる。カント倫理学では尊厳と価値を区別しており尊厳は絶対的なもので価値の比較が不可能なものである。

人格には尊厳があるので、人の尊厳まで何でも価格(価値)の大小で判断する功利主義とは相容れない、ということである。

実際の場面に応用するとなると、一方の立場だけでは解決が難しい問題があるとおもわれる。

功利主義では解決できない問題の例として「フォード・ピント事件」が紹介された。もっとも、この場合集団訴訟のリスクとか会社の信用失墜といったものを損失に勘定していなかったという功利主義の適用ミスにすぎないのではないか、という意見も出された。

ただ、功利主義一本だけでは解決できない問題は確かにあると思われる。