男女産み分けの倫理問題

私が1月まで参加していた北大の「科学・技術と人間の倫理」でも取り上げられた遺伝子診断、それに伴う選択的中絶などの問題はグループで議論したところだ。
と書いたが、読み返してみると「はてな?ダイアリー」では12月2日のところで終わっており、グループとしてどういう結論をだしたのかを書いていなかった。端的に言うと、「大人の医療目的だけに限定しよう。それ以外はだめ。」という内容であった。
では、今日明らかになった以下の例ではどうだろうか?

着床前診断:学会の承認なしに3例実施 神戸の産婦人科
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040204k0000e040042003c.html

これから生まれるであろう受精卵に対する遺伝子診断(受精卵診断ともいう)である。3例の内、2例までが男女産み分けであり、残りは染色体異常の診断であった。私たちの討論の結論からはすべて認められないことになる。

ウェブの記事を見る限りでは以下の点がポイントと思われる。

  1. 一般的に着床前診断は認めるべきなのか。
  2. 学会の指針に反して無届で着床前診断をおこなったことは誤りなのか。
  3. 産み分けのケースでは、着床前診断を認めなければ人工妊娠中絶を選ぶことができる。人工妊娠中絶は着床前診断よりは倫理的に善いことなのか。

学会とは日本産科婦人科学会のことであり、本日の報道についての見解が述べられている。
http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/annaunce_4feb2004.html
また、着床前診断についての会告も5年近く前に定められている。
http://www.jsog.or.jp/kaiin/html/H10_10.html
ルール違反については言うまでもないが、ルールに違反しているかどうかは倫理問題ではない*1

私の感覚では最後に掲げた「中絶は着床前診断よりましなことなのか」という疑問が一番重要な問いである。日本においては中絶については法律の規制も実質的にはないし、学会の倫理委員会に諮問する必要もない。でも当の女性の体に負担をかけることは間違いない。
受精卵を苦労して体内に戻したあとで中絶させることは二重の苦痛をあたえる(卵の取出しまで入れれば三重だ)ことから当然医師は避けるだろう。「理由を問わず中絶を認めるのなら、生み分けを目的とした着床前診断と受精卵の選択も認めてもおかしくない。」というのは筋が通っている。

さて、この医師のコメントを引用する。

学会を無視して独断で実施したことについて、大谷院長は「遺伝子を人為的に操作するわけでなく、選ぶことだけは許されると思う。目の前の患者の希望をかなえることが私の良心だ」と話している。

なぜこの事実が公になったのか毎日新聞は明らかにしていないが、当の医師のコメントが得られていること、朝日新聞にも一問一答形式の長いインタビューが掲載されていることから、この医師は自らリークした確信犯だったのだと思う。

ただ、「目の前の患者の希望をかなえる」ことが医師の良心として普遍的なものかは疑問がある。特に男女の産み分けが社会的に与える影響を考慮しているのだろうか。それらを踏まえたうえでなお「社会の混乱より目の前の患者」と言い切れるのか。

この問題は「個人」と「社会」の対立であるとも考えられる。

*1:医師にとってはこのルールこそが倫理的に誤っていると確信していることと、ルール自体が倫理的規範である=医師の行為こそ倫理違反、が対立していることが倫理問題なのだと思う。