雪印食中毒事件(2回目)

授業といっても講義はなし。いきなりグループ討議にはいった。

私は、モラルセオリーを意識しながら雪印社長の立場でどのような選択肢がありえたかを議論した。

実際の事件では、経営陣が食中毒について知るのは株主総会の後であったが、議論では「大樹工場で細菌を大量に含んだ脱脂粉乳を生産したことがわかった時点(4月)で工場長がその事実を経営陣に適切に伝えたとして*1、社長はどういう判断をするだろうか」という前提とした。

私からは、以下のような説明をした。

費用・便益計算によってこの問題について判断することは意外に難しい。脱脂粉乳を廃棄・出荷停止するコストは比較的わかりやすいが、出荷してしまったときのコスト(どのくらいの人が食中毒になるのか)は将来のことでもあるし明確でない。目に見える廃棄や出荷停止のコストを過大に見積もってしまい、食中毒のリスクを過小に評価してしまいかねない*2。また、経営者は利益やバランスシートによって評価されるのが普通であり、数字に傷がつくのを快く思わない。倫理的・社会的責任という評価基準は歴史が浅く経営者に対する圧力としてまだ機能していないので、このような面からも出荷停止を決断するのは難しい。また、費用・便益計算も功利計算も実は手間がかかりすぐに決断することができないかもしれない。
社長の迅速な判断を助けるためにも倫理規定や行動規範といった文章は有益と考える。功利主義ではなく義務論(義務論ではなく規則功利主義がより適切かもしれない。ただここではルールに基づいて判断するほうがよい、という意味で用いている。20031224追記)によって経営者の行動を規定するほうが、行動しやすいのではないか。倫理規定に照らし合わせて(社会の利益が会社の利益に優先するなどの理由により)出荷停止すべきであるという結論を経営者として出すことが可能だと思う。
企業の社会的責任や倫理面を調査し銘柄の組み込みに配慮したファンドが出現しているので、これらの発達は経営者を外部から規制するには効果的な手法であると思われる。

もうひとつ議論となったのは、内部告発についてであった。
この事件では、大樹工場で生産した脱脂粉乳に大量の細菌が検出され、上司に報告されていた。しかしながら生産は続けられたし、脱脂粉乳の廃棄も行われなかった。では、細菌の検査をしたものはその事実を踏まえて内部告発などができたのだろうか、という問題である。
ぜひ「そうしてほしい」という意見もあったのだが、このケースで内部告発が義務だったかというとちょっと難しい*3。強制はできないのでは?という意見が大勢だった。
また、この事件では工場長の指示による日報の改ざんや捏造があったのだが、この段階でも内部告発のリスクがあったこと、必要な日報が整っていないという作業者側の落ち度(負い目)もあることから、その立場から内部告発をすることは難しいだろう、という意見があった。
私自身の意見であるが、内部告発の結果として告発者はかなりのダメージを受ける。特に社外やマスコミへの通報は軽々に「勇気ある行動」とは言えないほど重い行為であると思う。社会正義をこの方法だけに頼るのは問題であり、効果的ではないと信じている*4。組織内の監査体制を充実させるほうが先決なのではないだろうか。そのような組織にすることが経営者の義務と思われる。

*1:実際の事件では工場長のレベルで隠匿が行われ脱脂粉乳は後日製造された脱脂粉乳の原料として再利用された。社長以下役員は食中毒事件が発生してからも大樹工場での事故について知らされていなかったようだ。

*2:心理学の教えるところによると、確実な損失より不確実な大損失を選んでしまいがちである。損失ゼロの可能性があればそこにすがりつきやすいとのこと。

*3:ディジョージの5条件からすると、大衆への被害が及ぶという条件は満たしており、上司への報告も行っているが、内部的に可能な手段を尽くしたとはいい難く、内部告発のリスクはかなり大きかったものと思われる。

*4:内部告発という行為は、国家間であれば他の外交手段を尽くしても正義が実現されずにやむを得ず戦争を開始するのに近いと思う。戦争にもルールがあるように内部告発にもルールと告発者の保護が必要だとは思うが、内部告発を推奨するような制度は作るべきではない。内部告発によらず同様の効果が実現できるよう整備してほしい。