リコールの権限がないことについての倫理問題

アサヒ・コムの記事によると、いわゆるハブ破断事故による死傷事件について、三菱自動車側の被告は無罪を主張するとのこと。以下の引用は

関係者によると、被告・弁護側はこれに対し、「村川元部長は同種事故の多発を認識していなかった」「三木元部員は多発自体は把握していたものの、整備不良が原因と信じていた」とし、2人とも横浜の事故は予見できなかったと主張する模様だ。さらに、社内の権限についても言及。「当時の立場では、両被告にはリコールを最終的に実施する権限がなかった。そのため事故を回避できる可能性もなかった」と述べるとみられる。

アサヒ・コム 2004/9/26 「元部長、無罪主張へ 三菱自欠陥母子死傷事件」

予見できなくて、製品の欠陥が原因とは思っていないのなら、リコールの実施権限について触れる必要はないと思うだが、それはさておき、リコールの実施権限がないことと「事故を回避できる可能性がない」ことはつながるのだろうか?

リコールすべき欠陥であるかどうかは現場に近いサイドでないと分からない。実施する権限を持っているのは市場品質部長より上のレベルであるとして(社長名で官庁に届け出るので、取締役会などで議決されるだろうと思う)、彼らが実質的にリコールすべきかどうかを判断できるわけではないのが、階層組織の常である。リコールが必要な欠陥なら会社としてそう動くよう社内で働きかけを行うのが、現場にいる技術者には求められると思う。

裁判としては「権限がない」と言わざるを得ないのかもしれないが、倫理的にはそうとは言えない。なすべきことが十分なされていなかったのではないか、という疑問が拭い去れない。