会社を責める前に

今回の件で三菱をいくらでも非難することができる。でも、三菱という日本が誇るべきブランドがこのように惨めになった原因は、三菱の重役や社員ばかりの責任ではない。現代の日本は「目の前のことを否定し」「さほど悪くないことをした人をリンチし」「一市民の離婚を報じて「国民の知る権利」という」というように「何でもあり」の社会になってしまったのである。

名古屋大学 武田邦彦教授のサイト「三菱のトラックと鳥インフルエンザ
http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/00/040407/mitubisi.htm

北大での「科学・技術と人間の倫理」では「つつしみ」と「いましめ」から講義がスタートした。社会全体からこれらの徳が失われていることも、会社が過剰な組織防衛をすることにつながっているのかもしれない、と感じさせられた。
「さほど悪くないことをした人」を執拗に糾弾する(リンチとは言わないが)傾向があちこちに現れている気がしてならないのは、武田先生だけではないだろう。年金の未納問題はこれほど騒ぐに値することなのか、NHKの受信料や受診契約でも同じようにバッシングをするつもりなのか、イラクで人質だった人が犯罪者であるかのように主張するのも同根ではないだろうか。
一方で、この反作用で企業側の過剰防衛と見られる行為も多々見られる。

鳥インフルエンザの場合は、風評被害を過剰に恐れての感染隠しとも思われるし、自動回転ドアを撤去する動きもそのひとつ。技術倫理ではないが、ハンセン病宿泊者拒否問題で廃業したホテルの例が「逆切れ」に思えてやはり痛ましい。
http://www.ai-star.co.jp/kaiken/kaiken_f20040501.html

過剰な反応は帰結主義の立場からしても「よい結果を生まない」ことを心に留め置きたい。